MAYRAMのシルクロードライフ
中央アジア、キルギス共和国のウズベク人と結婚して幼い3人の息子がいます。キルギスに住んだり、日本に住んだり。
現地の生活や食事もご紹介します。
MAYRAMの店長ブログ。
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2015.07.27 Monday
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コーランを耳に入れる
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週末は毎日子どもと主人が遊びに来てくれました。 耳元でコーランを読んであげるのを上の子の時にもやったのですが、三男にもそれをやりました。 主人は、いくら家を片付けても、すぐ散らかされると疲弊していて、これで私がいるとき散らかっててももう文句は言われなさそうだなと確信しました。笑 ご近所さんが果物やおやつを持ってきてくださっているそうです。本当にありがたいことです。。
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2015.07.26 Sunday
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生まれました♪
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おととい、3350gの三男を無事に出産しました。 この安堵感、なんだろう! 前回の創部に胎盤がかかってる可能性があったので、もし胎盤が創部に癒着していたら子宮摘出の可能性もあったのですが、 どうやら、それは大丈夫だったようです。 赤ちゃんはスヤスヤ眠っています。 私は術後なので寝返りも打てなくて背中バリバリですが、なんとか入院中に身体休めたいと思います。 主人やうちの母が来ては、鼻が親戚の誰々に似てるんじゃないかとか、あれやこれや言ってます。 上二人の面倒見ている主人はもうてんやわんやみたいで、出掛け先でうんちされたとか、そりゃそゆこともあるよ! 頑張っておくれ~!
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2014.10.28 Tuesday
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もうすぐ記念日
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すごく個人的なのでうざかったらスルーしてください〜〜
数年前の11月1日は私が主人と出会った日です。
結婚記念日とかプロポーズされた日、とか色々世の中には記念日があるけれど、私としては出会った日、が一番印象に残ってる日かな。
その日、私はウズベキスタンを観光してから大好きなキルギスもちょいとついでに行っとこうと、たった2日間だけの日程でキルギス入りしたんでした。
お金をぼられるのが怖かったのでわざと汚い身なりをしていた上に、国境を渡るときに小雨が降ってきてしまって服が少し濡れてしまったので、さながら濡れ鼠のようだったと思います笑
それで国境のキルギス側に来てから、街の中心まで行こうとマルシュルトカ(乗合マイクロバス)の前でウロウロ&オロオロしていたら、赤い乗用車から降りて来た一人の青年が「May I help you?」と話しかけてきました。
それまで中央アジアでは英語がほとんど通じなかったので、珍しーこの人。と思ったのを覚えています。マルシュルトカは止めてもらう時に声をかけなきゃいけないとか、色々当時の私にはハードルが高くて嫌だったので本当はタクシーに乗りたかったし、事前に交渉した値段も現地価格だったので行きたかったレストランまで直接送ってもらうことにしました。
その時のざわざわした国境での様子が一枚の写真のように記憶に残っているのですが、誰がこの日本女子と赤い乗用車のウズベク人青年が将来結婚すると思っただろう。笑
2014年の私がそこに行って、当時そこに居合わせた人々に「この二人将来結婚するんだよ」と言ったら当人達含め、全員笑い飛ばすでしょうね〜〜
青年は当時大学生で、放課後、親の車でタクシーして小遣い稼ぎをしていたのでした。オシュ国立大学の英語学科の学生だそうで「将来僕は英語の先生になりたいんだー」と言っていました。「ふーんそうなんだー。私も大学生だよ〜国際経済やってんだぁ」
そう話しているうちにすぐ目的地のレストランに着いたので荷物を降ろしてもらいました。青年はノートにササッと何か書いてそこだけ千切って私に差し出しました。「これメアドだからなんかあったらメールして。良かったら君のメアドもちょうだい」軽い気持ちで「いいよ。」と言ってノートにメアドを書いて、じゃ、と別れました。
その後2日で私は日本へ帰国。初めて会った時でした。全然結婚するなんて思ってませんでした。
そんな記念日。
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2014.08.16 Saturday
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相模川でシャシリクBBQ
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仲良しのウズベク日本ファミリーと相模川でシャシリクBBQをしてきました。
シャシリク屋の風貌ww 一本何スムでっかー?
旦那さんたちがシャシリクを焼いてくれている間に子供たちを川原で遊ばせたり・・・二人共後ろにひっくり返って服がびしょ濡れになりました〜。ま、お決まりよね。
我が家に比較的近い多摩川ではピラニアがいる(!)とか聞いたのですが相模川はどうなんだろう?水が透き通っていて、山も近く、空気が綺麗でとても良かったです。
なんか、うちの子もお友達のお嬢さんもウズ×日本のMIXだからか、なんとなく似てる??ウズで仕立てたお洋服がとってもキュート。
主人が相模川でのBBQ気に入ってしまったようで、また数日後に行こうか!って・・・
もしかしてこれ週1ペースで飽きるまでBBQコース?(・∀・)
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2014.08.16 Saturday
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相模川でシャシリクBBQ
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仲良しのウズベク日本ファミリーと相模川でシャシリクBBQをしてきました。
シャシリク屋の風貌ww 一本何スムでっかー?
旦那さんたちがシャシリクを焼いてくれている間に子供たちを川原で遊ばせたり・・・二人共後ろにひっくり返って服がびしょ濡れになりました〜。ま、お決まりよね。
我が家に比較的近い多摩川ではピラニアがいる(!)とか聞いたのですが相模川はどうなんだろう?水が透き通っていて、山も近く、空気が綺麗でとても良かったです。
なんか、うちの子もお友達のお嬢さんもウズ×日本のMIXだからか、なんとなく似てる??ウズで仕立てたお洋服がとってもキュート。
主人が相模川でのBBQ気に入ってしまったようで、また数日後に行こうか!って・・・
もしかしてこれ週1ペースで飽きるまでBBQコース?(・∀・)
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2014.05.29 Thursday
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曾祖母
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私にとっての祖母、子どもたちにとっての曾祖母に会いに行きました。
ちょっと前に一度入院したと聞いて心配になって。
私が結婚を決めたとき、いいじゃない!と一番に賛成したのが祖母でした。
昔、ソビエト時代に中央アジアに行こう行こうとして、でもその時は時代が時代だったので行けずに断念してしまった、と。
かつて私に怪しげな10円玉の占いをしてくれて、「砂漠の商人」が出たんだそう。10人近くいる孫の中でアンタだけだよこんなの出たの。やっぱりそっちに嫁ぐ運命なんだね〜と言われたんでした。
自身はプロテスタントの家庭に生まれ育って敬虔なクリスチャンなのですが、部屋にはイスラム教に関する本も置いてあってイスラムに関しても勉強していたようでした。
80歳過ぎてから死海に水着もって浮かびに行ったり、毎日1000m水泳したり、よくベラベラ喋ってかなりアクティブばあさんでしたが、今日会った祖母は本当に小さく、前のような勢いが無くなっていて、身体も思うように動かなくて、もう人生の締めくくりに近づいているというのがはっきり分かりました。94歳。
戦争を乗り越え、5人の子どもを産んで、戦後の荒波の中沢山の苦労をして、いま「天国に行ける時を待っているのよ」と言う。
祖母の苦労を直接知っている母は泣いていました。
「もう寝たいから帰って頂戴」
昔から変わらない口のきき方に、少しホッとしながらも、自分で立ち上がることも、ベッドに横になることもできない祖母の変わりように戸惑いを隠せませんでした。
残された日々を幸せに過ごせますように・・・
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2014.05.13 Tuesday
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蚊帳を買うた
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蚊帳を買いました。
夏のキルギスでのハエ・蚊対策です。
町内みなさんぼっとんトイレなので、ハエが多いんだと思いますが、
どうやっても慣れないことの一つがハエなんです。
素肌にハエが止まると、くすぐったいって言うか、
すぐ気がつくので手で追い払うのですが、あっちもこっちも止まってしまって払ってばかりいると遠目に見たときの私の動作が怪しくなってしまいます・・・
一人でバタバタしている人みたいな。。
「やれ打つな 蝿が手をすり 足をする」という一茶の句があったな・・・
あーホントだ、手をすってる、足もすってるなんて感心したのは初日だけで、もうそのあとは憎くて憎くて、自分はまだしも、無抵抗なこどもの顔に止まったのを見たらもう黙っちゃいられませんでした。部屋に一匹プーンと入ってきてしまった時は出て行くまでシーツ持って追い掛け回して大格闘。
そんな私を現地の皆様はシラーと眺めています。
ハエがどしたの?くらいの感じで・・・
どう思われようとハエは嫌です。
で、蚊帳を買いました。いい感じ。これでキルギス行っても安心してねんねさせられるよ・・・
キルギスで発見したことは、辺りが暗くなると、ハエも寝るということです。
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2014.04.20 Sunday
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さすがにそれはない
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この間家族で出かけた時、主人・長男ペアとはぐれてしまいました。
その日に限って私がケータイを家に忘れてきたので連絡取れず、なかなか見つからず・・・
近くにいたお店の方に「すみません、主人とはぐれてしまったのですが・・・外国人と2歳くらいの男の子見ませんでしたか?」と尋ねると
「外国人ですか〜、なにじんですか?」と。
私は知っています…。ウズベク人と答えたところでウズベクジンってどんな顔ですか??となってしまうことを・・・・
帰って軽い気持ちで主人に聞いてみました。
日本でなにじん?って聞かれたらどうしてる?って。
そしたら「もう本当に聞かれすぎて疲れて、最近はその場限りの会話なら日本人ですって言ってる」
はい?
その顔で?w
ありえないでしょ
どうやら、ウズベク人と初めはいつも答えていたけれど、言っても誰も知らない上にどこにある国か?とかソ連から独立して云々・・・などとその後長い話になるのでもはや外国人ではないと言うことにした・・
さすがに誰も信じないと思うんだけど・・・
煩わしいことを好まない性格なのは知っていましたがここまでとはね。
そんな『日本人』が目をキラキラさせてラム肉を1850g買ってきました。
何か美味しいもの作ってと言われたのですがこんな大きなラムの塊初めて見た、、どうしたらいいっすか?
結局第一弾は定番シャシリクになりました。間引きしたディル勿体ないからもちろん使ってます。
ラムだからか、ものすっごく肉が柔らかくてジューシーでした!
シャシリクに食らいつく姿はどっから見ても正真正銘ウズベク人でした。
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2014.04.09 Wednesday
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胎内の記憶
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今日長男とお風呂に入っていたら、帝王切開の傷を見つけてこう聞きました。
「ママ、ここどうしたの?」
「ここは赤ちゃん産むとき切ったんだよ〜」
「え〜〜チョキチョキって??赤ちゃんが切ったの?(このへん意味不明)痛かったの?」
「うん、1ヶ月くらい痛かったよ」
「え〜〜〜」(顔をしかめる)
そうだ、お腹の記憶ってあるのかな、聞いてみようと思いました。
「お腹の中にいるとき、何してたの?」
「んー寝てた」
「お腹の中どんな色だったの?」
「赤かった!」(即答)
「明るかった?」
「ううん、暗かったの」
「寒かった?」
「ううん、あったかいの」
「気持ちいいの?」
「うん、そう」
「出てきたとき誰か見えた?」
「ママにこにこ〜〜って笑ってた」(全身麻酔だから私は笑ってないはずだけど。覚めてからの話??)
「パパいた?」(私の代わりに主人のお腹で生後すぐ30分くらいカンガルーケアしたのでそのことを覚えてるのか聞きたかった)
「パパいなかった」(バッサリww)
それから続けて、こう言いました
「きゃーちゃん(自分のこと)チックンしたの」(チックンは注射なんですが、生後3日目に3本くらいしました。それかな?)
「どこにチックンしたの?おなか?腕?足?」(ホントはお尻にしました)
「えーわからない〜〜」
そんな感じでした。まだ2歳なので伝えたいことがしっかり言語化しきれないので曖昧な部分も多かったですが、でもそれらしい答えもちらほらあってちょっと驚きました。
3歳になったくらいにもう一回聞いてみようかな?
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2014.03.30 Sunday
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同じ服
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長男のお下がりを着て顔を上げる練習する次男。
顔上がらない(笑)
たしか・・・かつて同じような絵を見たような気がするけど・・・
↑こちら2011年秋の長男。同じ服を着ていたから記憶にありました。
次男は眉毛がパパと同じ、描いたみたいに濃〜い眉です。
最近クリミアのロシア編入問題の後、オシュでは「ここもウズベキスタンに編入されるんじゃないか!?」と噂されている(期待?)ようです。
そうやって他地域に波及していくのって他国が恐れていることの一つだと思うんですが。
ロシアは大国だけどキルギスとウズベキスタンじゃあ互いにドングリの背比べなので、私はすぐには有り得ないと思います。またたくさんの血が流れるのは本当に御免です。
(※あまりご存知ない方に簡単に説明すると、キルギスのオシュ州は古くからウズベク系住民の割合が非常に高く、特に数十年前までは山にはキルギス人が遊牧生活を、平地にはウズベク人が定住生活をしていましたが、近年は多くのキルギス人が街に定住するようになってきてウズベク系住民とのトラブルが絶えません。2010年に大きな暴動があり沢山の方が亡くなりました。)
ウズのカリモフ大統領は「もしオシュをウズベキスタンに編入させるとなれば自分があと20年就任しなくてはいけない」と言及しているそうです。
オシュに住むウズベク住民としてはウズベキスタンになった方が一見都合が良さそうですが、恐らく簡単にそうとも言えなそう。
キルギスは中央アジアの中で最も民主化が進んでいる国とされているのに対してウズベキスタンは厳しい国なのでまた別の問題があるかも。
ま、どちらにしてもオシュはまだまだキルギスであり続けると思いますが。
でないとキルギスの南側は主要都市が無くなって山脈隔てて政府から野放し状態になっちゃいますし・・・それにキルギスも手放さないでしょうね〜
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