MAYRAMのシルクロードライフ
中央アジア、キルギス共和国のウズベク人と結婚して幼い3人の息子がいます。キルギスに住んだり、日本に住んだり。
現地の生活や食事もご紹介します。
MAYRAMの店長ブログ。
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2014.08.30 Saturday
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独立記念日パーティー☆
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8月31日はキルギスがソビエトから独立した独立記念日です。
そのパーティーが下目黒のキルギス大使館でありました。
キルギス国籍者とその家族、ということで日本人は私だけだったけれど、
日本でキルギス人の方たちと触れ合う機会はそうないのでとても楽しめました。キルギス人が話す日本語って、全員森本レオみたい。(これ、もうかれこれ6年くらいずっと思ってます)囁いているような優しい喋り方するよね。
キルギス料理の名物と言えばベシパルマックかな!
馬のソーセージが一番気に入りました。(上の写真の真ん中あたりに茶色く盛ってあるもの)キルギス名物とは知っていたけど、初めて食べたかも。
胡椒が効いていてすごく美味しかった。
食器棚のティーポットが、キルギスの模様で可愛い!
長男はキルギスの楽器、「コムズ」の音が出るおもちゃとボーズウィ(ゲルのこと)がやけに気に入って、このエリアから離れずずっと遊んでいました。
留学や結婚など、様々なキッカケで来日しているキルギス人と話せる時間が持ててとても有意義でした。
ある方に、ブログ見てるよ〜来たときすぐ分かったって言われて、恥ずかしかったー!アハハハ
大使館は我が家から車で40分くらいでした。キルギス帰省もこのくらい近ければ楽なのにね。。
明日は独立記念日、おめでとー!ちなみに「MAYRAM」はキルギス語で「祝日」ですよ!明日はMAYRAM。
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2014.08.30 Saturday
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独立記念日パーティー☆
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8月31日はキルギスがソビエトから独立した独立記念日です。
そのパーティーが下目黒のキルギス大使館でありました。
キルギス国籍者とその家族、ということで日本人は私だけだったけれど、
日本でキルギス人の方たちと触れ合う機会はそうないのでとても楽しめました。キルギス人が話す日本語って、全員森本レオみたい。(これ、もうかれこれ6年くらいずっと思ってます)囁いているような優しい喋り方するよね。
キルギス料理の名物と言えばベシパルマックかな!
馬のソーセージが一番気に入りました。(上の写真の真ん中あたりに茶色く盛ってあるもの)キルギス名物とは知っていたけど、初めて食べたかも。
胡椒が効いていてすごく美味しかった。
食器棚のティーポットが、キルギスの模様で可愛い!
長男はキルギスの楽器、「コムズ」の音が出るおもちゃとボーズウィ(ゲルのこと)がやけに気に入って、このエリアから離れずずっと遊んでいました。
留学や結婚など、様々なキッカケで来日しているキルギス人と話せる時間が持ててとても有意義でした。
ある方に、ブログ見てるよ〜来たときすぐ分かったって言われて、恥ずかしかったー!アハハハ
大使館は我が家から車で40分くらいでした。キルギス帰省もこのくらい近ければ楽なのにね。。
明日は独立記念日、おめでとー!ちなみに「MAYRAM」はキルギス語で「祝日」ですよ!明日はMAYRAM。
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2014.05.30 Friday
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キルギスのビザ
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けっこう間際なのにまだキルギスのビザが下りてなかったので、ちょっとマズいのではないかと思い領事館に電話。
もともとキルギスへはビザが不要だったのに、去年の夏から長期滞在は事前にビザ取得が義務付けられてしまいました。
しかも、さっき外務省のHP見て知ったのですが、滞在登録も60日以内にやればよかったのが5営業日以内にならなくてはならなくなったと。でないと高額罰金って・・・(または高額賄賂か?)
領事館曰く、いまビシュケクからの返事待ち、と。来たら連絡しますと言われたけど、明日から土日であることを考えるともうあまり時間が無い。
すると夕方連絡があって、ビザが下りたので明日発送しますと。
郵送でやってくれるだけ親切だよね。しかも土日に発送してくれるなんて。
やさしー。
キルギス男性の日本語はかなりの高確率で森本レオのような喋り方になるような気がします。
ウズベク人ではそうはならないので、キルギス語訛りに関係があるのだろうけど、癒されます(笑)
ウズベク人が日本語を喋ると、東北弁か、九州弁か、なんかどこかの田舎の方言のように聞こえます。
大昔、大陸から来た人々が今も東北に留まっているから、という理由だったらすごいロマンある。
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2014.01.24 Friday
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キルギス語ぼちぼち
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オシュはキルギス共和国の南部なのですが、ウズベク人がとても多く、またキルギス人もウズベク人も互いの言葉を理解しているので私は今までウズベク語だけでゴリ押ししてきました。笑
言葉は似ているので私でも聞くだけなら意味は大体分かるのですが・・
でもなー。キルギス人に対してキルギス語で話したいなっていう気持ち、ずっとあります。
キルギスはとても親日で日本人が大好きなので、キルギス語しゃべると大喜びしてくれます。
主人と出会う前、私はキルギスが大好き過ぎて単身でキルギスに永住したいと思っていたので、図書館で見つけたキルギス語の本を勉強し始めました。
が、あまりに難しくて早々に諦めました。笑
でも今なら似ているウズベク語をベースに少し頑張れるかも・・・
しまっていたテキストを出して声に出してザーッと勉強してみました。
キルギス語:
Кыргызстанда кыш өтө суук болбойт.
クルグズスタンダ ケシ オト スーク ボルボィトゥ。
ウズベク語:
Qirg`izistonda qish uncha sovuq bo'lmaydi.
クルグズストンダ クシ ウンチャ ソウック ボルマイディ。
うん、似てる。似てるけど、時々全く違う単語があります。
それとこの例文、なぜ目に止まったかというと「キルギスでは冬そんなに寒くならない」って書いてあるんですが・・・・そんなこと絶対ないでしょ!!!
マイナス20度とかなるよー!?
実は、ロシア語直訳のテキストだそうです。なるほど。マイナス40度になる場所からしたら、キルギスの冬なんて大したことないのかもしれません。笑 (;・∀・)
あと、ウズベク語にない母音調和が難しい〜〜〜!!!!
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2013.11.08 Friday
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キルギス免許からの切り替え
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パンパカパーン!主人が日本の運転免許の筆記に合格しました〜
キルギスでは随分前から免許持っていたのですが、日本で切り替え試験を受けるための書類に不備があって、試験自体なかなか受けることができませんでした。
そして今日書類がやっとOK出て、一発合格したみたいです。良かったヽ(;▽;)ノ
まだ実技の試験あるけどね。(むしろ、車の合間をぬうように凄い運転する中央アジア人にとってはコチラのほうが大変なのかも・・・)
今後キルギス国籍で切り替えをしたい人の参考になるかもしれないので
神奈川県の場合の今現在のこと書いておきます。
通常の必要書類は割愛して・・
キルギスでの免許証がキルギス語の場合は英語の免許証が必要でした。はじめ、大使館で翻訳してくれればいいということで翻訳してもらったのですが、日本側が求めてる内容に対して翻訳が完璧でないと言われて結局現地で英語のものを再発行してもらいました。
それをJAFに送って翻訳文を作成してもらいます。
また、再発行した新しいタイプの免許証がまだ前例が少ないため本当にこれがキルギス共和国が発行した免許かどうか証明するための書類が必要で、それがロシア語なので更に英語か日本語に翻訳が必要です。
翻訳するのは、個人ではだめですが、翻訳をしている民間企業でもいいとのことでした。うちの場合はキルギスで英語に翻訳してもらいました。
そんな感じでやっと試験に漕ぎ着けたわけです。
私は完全にペーパードライバーで、学生の時に免許を取ってから殆ど乗らないまま、つい今月ゴールド免許を取得しましたwww
主人が免許とったら、恐る恐る私も乗り始めようと思います・・・多分・・・
さて、日々創作お菓子を繰り広げて失敗と成功が五分五分のため家族に怖がられている私ですが、昨日は沢山ある安納芋で蒸しパン作ってみました。
これは、とても美味しかった!!!
夕方作って、夜には無くなっていました。安納芋って本当に美味しいねぇ。
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2013.09.30 Monday
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オシュの遊園地
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オシュの真ん中に怪しげな遊園地があります。
いや、みんなの憩いの場なんですが、私の目から見ると・・・
だって、頼りな〜い鎖が両脇にかかっているだけで、足元ぐらついたら一番上からステーンって落っこちそうなんですもん。。。とても乗る気になれません。
こっちは楽しい汽車。これもベルトはただの紐が垂れていて、セルフで縛ります。
固結びして、降りるときは自分で固結び外します。
多分他の親はおおらかなので結ばされない子が多いと思いんだと思います。
私はというと、もしこの汽車が暴走し始めたらどうしよう・・とか息子が立ち上がって降りようとしたらどうしよー!とか思ってしまってー!!
でも杞憂でした。この1ヶ月で最高の笑顔だった息子。3分で止まるタイプの汽車でした。スタッフに言うまで永遠に回り続けるタイプのもあります。(笑)
これ、夜に行ったシャシリクレストランの子ども遊び場スペース。
このおじさん、サ、サンタ??!!?大体遊具は中国製が多くて、恐らくキルギス用に何もアレンジしたりせずにそのまま持って来ているようで、乗り物も中国語を喋ったりします。
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2013.09.05 Thursday
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オシュの家に着いたー
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さっきサツマイモとウズベキスタンの例の美味しい干しブドウとシナモン詰めてパン焼きました。
鉄板に欲張ってぎゅうぎゅうに並べてしまったので形が歪だけど・・・
子どもは寝る前だったけど匂いに我慢できなくて、結局喜んで頬張っていました。
*********
さて、マルギランから国境へ向かった話の続き。
ウズベキスタンとキルギスの国境に着いたのは18時半すぎ。
こんな遅い時間に渡るのは私は初めてでした。
ウズベキスタン側の手続きを終えて出国し、100mほど歩いたらキルギスの入国ポイントがあるのですが、キルギス側の手続きも終えて檻?柵?を越えようとした時なんとキルギス側の警備が、19時回ってると首を横に振るのです。
んなバカな!
あ…確かに2分回ってる。いつも時間にルーズな中央アジアなくせにこういうところだけしっかりしやがってー
もう出国手続きも入国手続きも済んでてあとはここをくぐるだけなのに、ここで止められたらどうすりゃいいわけ〜??
主人と息子をマジマジと見ながらどっから来た?と言うので日本と言うと、え?マジで?ほんとに日本人なの?と急に柵を開けてパスポート見せて〜と好奇心でキラキラした目。
パスポートを差し出すとヤポーニャ!!いいよ通って〜!と満面の笑み。アッサリ!キルギスが親日でよかった。
私の後ろに同じ境遇の現地人たちが並んでいて一緒にすり抜けようとしましたが、高い柵をガッシャーンっと閉められてお前らはダメだ。という感じでした。
ゼェゼエ。。。
と、通れた。。
残った人達どうなるんだろ…
賄賂かな。。
さて国境には義理の兄や主人のお友達が来て待ってくれていました。
主人の実家までは車でほんの数分。
ソ連崩壊の時、引かれる国境線が少しでもずれていたらウズベキスタンになっていたでしょう。
現にウズベキスタン側の国境から何軒目かの家は叔父の家なのです。
距離にして二キロも無いかもしれないけれど、叔父の家はウズベキスタンのアンディジャンで、うちはキルギスのオシュ。
兎にも角にも、オシュの家にたどり着きました。
お義母さんたちはとっても綺麗な特別用のテーブルクロスを敷いて美味しい食事を用意して待っていてくれました。
疲れ果てていて夜の写真はないけど、夜空に浮かぶ葡萄棚と涼しい風に吹かれながら中央アジアのどこよりも落ち着くわー最高!と思いました。
昼間の部屋。葡萄棚にブドウがたわわになって主人が子どもを肩車すると自分でもぎ取れるんです。
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2013.08.14 Wednesday
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郵便屋さんは家まで来ない
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オシュの家にポストってないんですよね。。。
郵便局は個人の家にまで配達してくれないのです。
もちろんDHLなどは独立した会社で配達まで自分の会社でやるから届くけど。
私がキルギスいた時に優しい友達が何度か日本食の詰め合わせなどを送ってくれました。
ある日、近所のおばちゃんが門を薄く開けて顔を覗かせ「なんかお宅のお嫁さんに日本から郵便局に荷物来てるらしーわよ!!」と叫んで去って行きました。
え、このおばちゃんがいなければ私は荷物が来たことすら分かんないってこと!?(◎_◎;)
それで郵便局に行くと確かに来ていて受け取るというシステム。
この後来た荷物に関しても、またしても別のご近所のおばちゃんの口コミによって知ることになりました。
なんかもっとしっかりしたシステムはないのでしょうか?本当はあるのかもしれません。
未だナゾ。
手紙もだから配達してくれません。
私は結婚前、現在の主人と手紙のやりとりをしたけれど、私が送った手紙は半年彷徨ったりしていました。
来ない来ない、とメールが来て、内容を教えてくれと言われて送った手紙の内容をメールで送るというなんとも非ロマンチックなことをしました。
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2013.08.05 Monday
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オシュへの道程
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そろそろキルギスに帰りますが、帰省は家に辿り着くまでがものすんごく大変。毎回バックパッカーの気分です。
オシュの実家まで行くルートは基本的に二つですが、方法は色々あります。どれも壮絶。…>_<…
1.日本から乗り継ぎをしてキルギスの首都ビシュケクまで行き、そこから富士山ほどの山脈が永遠と連なる700kmの道程を陸路で行くコース。冬は閉ざされることも。
ただ、その景色は私が生まれてから見た景色の中で二番だと断言できる絶景。一番は、同じくキルギス国内の、ウイグルへ通じるイルケシュタム峠。これ見ないで死ねるか!くらいの最高の景色。
どんな景色かって?アルプスのような山々が聳え立ち、手前の草原では羊達が群れていて、凄いのが、そこに人の営みがあるということ。キルギス人たちが点々とボーズウィ(ゲルに同じ)を張って遊牧しながら暮らしている。
2.上の行き方を国内線で飛ぶ方法。絶景を空からしか見れないので、ちょっと残念。ただ、山脈の凄さは怖いくらい感じられる。
ガタピシの国内線は着陸時に謎の拍手喝采が起こったりして、まるで着陸できたことが普通でないかのような恐怖を味わう。
機内の騒音が凄まじく、隣の人の声すら聞こえないことも。小柄な私でも窮屈なのに、ロシア人のおっちゃんが座席に挟まるようにして座ってる。
3.日本からウズベキスタンの首都タシケントに飛び、陸路で500kmアンディジャン方面、キルギスの国境まで行き、国境を徒歩で渡りオシュに入る。これも道程は結構凄くてタジキスタンの山々を横目にカムチック峠を通る。真冬は雪道ずり下がる車を後ろから男性たちに押してもらったり。。
途中タジキスタン、キルギス、ウズベキスタンの三国が複雑に国境を引いている地域を通るため、カメラ禁止、検問などの緊張したエリアあり。私にとってウズベク語だけで辿り着くこのルートは比較的楽。
4.上のルートをアンディジャンまで、もしくはフェルガナまでウズベキスタン国内線で飛び、そこから国境まで行ってキルギスに入国する。
タシケントからアンディジャンやフェルガナまで行く国内線がワザとなのか、本当におかしな時間に着く。真夜中とか、朝5時過ぎとか。
どうせ国境は9時くらいまで空かないのでウズベキスタンの中でどっかに泊まることを考えると陸路の方がマシ。
更に、夏以外のOFFシーズンは乗客が少ないとフライトがなくなったりするようで、確実な予定が立たない。
と、こんな感じです。
今回は3のタシケントから陸路かな。ノン買ったりチョイホナで食事しながらのんびり行きたいと思ってます。
また、以前書いたようにオシュの国境が時間によりカオスなのであの手この手使う必要があります。
ちょうど昨日お義母さんと電話した際、長蛇の列ならこうしろと言われたアドバイス。
アドバイス1.
腕に子ども、お腹に子ども、本当に大変なの。と警察の所に直談判しに行く。紳士的な国なので、子ども抱えた女性に本当に優しい。
アドバイス2.
外国人であることを主張する。
これもなぜか意外と有効。親日だし。
アドバイス3.
国のお偉いさん?をしてる親戚に電話する。
日本人にとっては何それ?という感じなのですが、コネ、顔、というのは今までの経験では中央アジア中でかなり有効で、一度は持ち込み禁止と言われたものが全部オールOKになったり、順番すっ飛ばしてくれたり、不思議なことが多々おこる。
今回も頑張りますゾ!!
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