MAYRAMのシルクロードライフ
中央アジア、キルギス共和国のウズベク人と結婚して幼い3人の息子がいます。キルギスに住んだり、日本に住んだり。
現地の生活や食事もご紹介します。
MAYRAMの店長ブログ。
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2013.08.02 Friday
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うばわれたマトリョーシカタンブラー
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生まれて初めて行ったロシアは、向こうの両親に挨拶するときでした。(その頃だけ親がロシアにいた)
エカテリンブルクという、ウラル山脈のそばに位置する綺麗な街なんですが、直行便など無く、秋なのに雪の吹きすさぶマイナス28度の中大変心細い思いをして乗り継ぎしながら行ったのでした。
で、その帰り道モスクワ経由だったので、マトリョーシカとかなんか欲しー!ってミーハー心が騒いでしまって、ロシア語レベルも下の下くらいなのにノコノコモスクワの街に出かけて行きました。
スタバ発見。
マトリョーシカのタンブラーが存在すると聞いたことを思い出しました。
自分にひとつ。大学時代からの親友にもうひとつ買いました。
ロシアらしからぬ笑顔の接客で、中にコーヒー入れるか?と聞かれて、テンパりまくっていらないいらないと断りソソクサと出てタンブラー二つ入った紙袋片手にホクホクモスクワの街を散策したんでした。
その可愛らしいマトリョタンブラー、私の思い出が詰まった自分へのお土産だったのに…いつの間にか毎日主人の小脇に抱えられてお出かけしています。
正直、似合ってないよ…返しておくれ。
どこにでも、モスクにも連れて行きます。
厳密にはイスラムで顔の付いているものがダメなので、モスクに連れてく時、マトリョーシカの顔部分に不透明のテープを貼っているのを目撃しました。
チョットぉ!私のマトちゃんに何するの!
なんとなく昨日このマトリョーシカについてググりました。
え…??
13340円???
ものすごい高値で取引されてるんですねぇ。
うちの主人は実は価値を知っているのかもしれない…( ゚д゚)
ペリペリとマトちゃんの顔に貼られたテープを剥がして食器棚の私のコップの並びに主張するように並べ直しました。
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2013.07.11 Thursday
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ラマダン地域あれこれ
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ロシアのエカテリンブルクに住んでる義理の弟と主人がSkypeしてるのを聞いてたら、
「ここ、日没22:45なんだけど。まじで断食キツイっす」(T_T)
と言っていたので、ハッとしました。緯度高いと、日が出ている間断食ってルールのラマゾン、キツイよね…
てか国によって数時間も違うなんて不公平だね…(゚д゚lll)
え、え、もしだよ?もーしだよ?
もっと緯度の高いトコ、白夜になる地域でラマゾン迎えたらどーなるの??
日本人らしい私の素朴な疑問。
早速Google先生に聞いてみたら、いました!いました。同じような疑問を持つ日本人が!
http://okwave.jp/qa/q160744.html
このリンク以外にもあったのですが、時期をずらしたり、隣国の時刻表や、支部?の時刻表を使ったりしてフレキシブルに対応するそうです。
ふーん。ま、そうだよね。死んじゃうもんね。それに断食の意味はそこじゃないもんね。
そもそも白夜ってどのエリア?と思って調べると、緯度の66.6以上。ということは、エカテリンブルクは56.8333なので、近いけど、白夜には入らないと。
ロシアにはソビエト時代の名残でイスラム教徒が各地にいるはず。ロシアの都市でもっと高いところ…
ヤクーツク!!イスラムモスクもあるらしい。緯度62.0333。まぁ、かなり近い。それでも白夜には入らないかぁ。
本日の日出3:47。日没23:03。うわぁ〜!この辺だと沈むは沈むので、やる人は普通に断食してるのかな。。
感想。イスラム教はやっぱり緯度の低いところで発祥した宗教なんだなぁ。
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2013.04.05 Friday
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エカテリンブルク
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すっごくロシアなのに中央アジアの雰囲気がどころどころにある不思議な街エカテリンブルクのことをハイライトで。
この時期ずーっと曇っていたなぁ。かわいいロシア正教会。
それに対してタガンスキーバザールのサムサ。これを作っていた人は顔が濃いな〜と思ったらタジキスタンから来たと言っていました。かなり巨大で1個でお腹いっぱい。男性なら2個くらいで充分では?
街中張り巡らされているトラム。慣れないと、何番のトラムがどこに行くのか、全然わからない。切符売りのおばちゃんがトラムの中に座っていて、バス停(トラム停)で新しく乗ってきた乗客のところへ目ざとく来るので、お金を払ってかわりにわら半紙でできたペラペラのチケットをもらう。
モタモタしているとドアが閉まってすぐ出発する。怖い。
暇だったので主人とマイナス25度のクソ寒い中、わざわざ動物園に行きました。
私は寒さに劇的に弱いので行く途中で何度も凍え死にそうになりながら・・・
頭がキーンとして脳がやられると思いました。防寒対策不十分。日本で生まれ育った私としてはロシアの寒さなんて来る前に想像できませんでしたよ・・・
で、ついた動物園で客ゼロ。チケット売り場にスタッフがいた他は、動物園の中ではスタッフ見かけませんでした。貸切状態。(笑)
ホワイトタイガーとか珍しい動物もいて、わぁ〜〜っ♪とちょっと嬉しくなりましたが、結局一番私が気に入ったのはコイツ。
なんか、直感的にイイナと思いました。
カルナヴァルという近所にあったデパートには日本のデパートのようにスーパーが入っていて、結構なんでも揃ったのでよく行っていました。
バザールだと、楽しいといえば楽しいけど、値段の交渉、アンタはどこから来たっていう質問攻め、いろいろ面倒くさいので、誰にも何も言われないで購入でき、そして値段が最初から貼ってあるカルナヴァルはお気に入りでした。
そして、そのカルナヴァルの最上階にはスケートリンクがあって、ロシア人みんな上手いのね〜〜〜〜!!子どももスイスイ滑っちゃって。
私も滑ってみましたが、ヘタクソで恥ずかしかったです。流石ロシア人は寒い国の人々だけあります。ここでも中央アジア人が普通に混じって滑っていました。
そんな感じです。
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2013.04.03 Wednesday
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ドンガン人に似ている
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結婚してまだ子どもも生まれていない頃、一時期だけロシアのエカテリンブルクに住んでいました。
エカテリンブルクはとても綺麗な街で、ロシア正教のとっても綺麗な金色のドームの教会があったり、目を見張るような美しいバレエ・オペラ劇場があったり、ヨーロッパに住んだことのない私にとって、面白い体験でした。
そして、更に面白かったのは、エカテリンブルクはウラル山脈のそばにあり、つまり中央アジアからのアクセスがいいところにある大都市なので、中央アジア人がとてもたくさん住んでいる街だということです。
横浜の中華街のような規模ではなく、もっとずーっとスケールの大きいものです。
中央アジアの人たちのバザールがあり、タガンスキーバザールというのですが、ここに来るともはやロシア人なんてかなり少なくて、中央アジアにいると錯覚するほどでした。
ウズベク人の衣料品屋、タジク人の靴屋、そこを通るキルギス人姉妹、飛び交うウズベク語。バザールの中はウズベク語が普通に通じました。昼ごはんはタジク人の作っているタンディルサムサ。
特にタジキスタンからは毎日飛行機の便があり、たくさんのタジク商人が店を構えていました。
それから中国人の商人もかなりいました。食料品のほかは、仕立て屋や、洋服関係が多かったような気がします。漢族は中国語訛りのロシア語を話していました。
ウズベク人の店らしいところで買い物をしていると、「あんたどこから来たの?」と必ずと言っていいほど聞かれます。私はウズベク人の格好をしていたし、頭にスカーフをいつも巻いていましたが、ウズベク人ほど顔が濃くない(笑)し、見るからに謎な人種だったと思います。
「日本から来た」とウズベク語で答えるとまず絶対に誰も信じません。
日本人がほぼいないエカテリンブルクにウズベク語を喋るスカーフを巻いた日本人の女がいる訳がない!!!
アーッハッハッハまた〜そんな冗談言っちゃってさ〜〜だからあんたどこから来たのよ?
「だから日本です」
ええぇ?うっそ〜ドンガンでしょ?
「え、ドンガン人??」こっちがびっくりです。
でもエカテリンブルクで私はドンガン人だと何度か言われました。
それで、今日たまたまそのことを思い出して、
ドンガン人ってそういえばどんな顔なのかな〜〜って思ったので、
何気なくgoogleでドンガン人って検索したら、wikipediaにありました。写真が。
そして私はそれを見て数秒固まりました。
なぜならそこに自分がいたからです。
ウィキペディア「ドンガン人」より。
この真ん中の子、私よりちょっとシュッとはしているけど・・・でもパッと見かなり似ている。。。。
思い違いかなとおもって今日友達に見せたんですが、やっぱりウワー似てる!!と言っていました。
このピンクのスカーフ、色違いで白たまたま持っているんです。
ロシアのおばあちゃんがするやつ。
それで今日、家で三つ編みしてロシアのばあちゃんスカーフしてこのドンガン人の真似していたら、帰宅した主人に「なんでロシアのおばあちゃんの真似してんの?やめろ」と一蹴されました。
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2013.01.21 Monday
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おそロシア
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主人の仕事で、妊娠中ロシアにいた時期があるのですが、そこの産婦人科でひとりの太ったロシア人の女性がいました。
隣には若い男性が、生まれたての赤ちゃんを抱いています。
私のお義母さんが、
お孫さんがお産まれになったんですか?
と声をかけました。
すると、違うのよ〜私の赤ちゃんよ。と。
なんと51歳で5人目の赤ちゃんを生んだところだったのです。20年ぶりの出産で。
赤ちゃんはつい昨日生まれたと言うのに顔も体もパンパンムチムチで、なんとなんと5000g!もう子どもみたいです。帝王切開で出産したとのこと。
女性の話によると、4人目を生んで約20年、もう閉経したと思い込んでいたそう。
そしたらある時なんだかお腹に違和感を感じ病院に行ったら既に妊娠4ヶ月。。
太っていたため、おなかの膨らみにも気がつかなかったそうです。
さすがロシア、なんでもあるねとびっくりしてしまいました。
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